#1褒めると下手になる!?
よく指導者から聞かれる言葉の1つだと思います。
「褒めると下手になるし、叱ったほうが上手くなる。だから私は叱る指導をするんだ。」
果たしてこれは本当でしょうか。
※主観的なだけの主張にならないようできるだけ様々な文献を参考にしたつもりですが、なんにせよ僕自身が教育や心理学の専門ではないのでひょっとしたら間違っている点や情報が古いものがあるかもしれません。もしご指摘・ご意見があれば是非お願いします。
概要
長くなってしまったのでまとめを先に。
- 長期的な視点で見ても褒めた方がキャリアという意味でも、ひいては日本のスポーツの価値を高めるという意味でも良いのでは?
- 中期的な視点では褒めることでより粘り強く取り組む選手を、叱り続けて指導するよりも楽に育てることができます。
- 短期的な視点では「平均への回帰」という言葉で叱るという主張を退けることができます。
今回一番言いたいのは「平均への回帰」という言葉です。ただ折角なので様々な視点から褒めることの叱ることに対するメリット?を述べていきたいと思います。
長期的な視点(年~、あるいは国という単位)
主張:甲子園など全国大会出場コーチがそうしている!
→①それはその子のキャリアを短くしているのでは?
→②それは日本におけるスポーツの価値を高めることにつながっていますか?
①選手のキャリアについて
大学でコーチをしていましたが「高校の部活でもう十分、大学ではやらない」「大学でまであんなに辛いことをやりたくない」と言う子がかなりの数いました。
全国大会に出るような選手でも、褒める指導をすればその子はもっと伸びたんじゃないの?あるいはキャリアが終わるときに見れば、褒める指導の方が最終的にはより上達できるんじゃないの?と思ってます。そうでない子もスポーツが辛いものではなく楽しいものと感じて、生涯に渡ってスポーツに触れてくれれば、健康面精神面のメリットを享けられると思いますし、それは次に述べるようなスポーツの価値を高めることに繋がるのではないでしょうか。
②日本におけるスポーツの価値について
その指導がそのこの社会性(社会的スキル)を高めることに役立っていますか?叱るだけの指導を続けて、その子が社会に出たときにそれはその子の力になりますか?
あるいはスポーツが叱る指導を中心としていて、そういったところに自分の子供を預けたいと思いますか?
僕はそうは思いません。
あるいは上で述べたように、「スポーツ=辛いもの」という認識が広まってしまったら、スポーツが発展していくとは思えません。発展していくにはお金が必要で、お金をだしてもらうには価値が必要です。その指導がスポーツの価値に繋がっていますか?
※見返すとここはかなり主観ですね。特に①のような長期的な視点での研究ってあるんでしょうか?
中期的な視点(数週間~数ヶ月)
主張:叱ったほうが上手くなるんだ。
→③それは研究で否定されています。
...と書きたくていろいろと文献を探したんですが、ずばり「褒める指導と叱る指導による競技力向上の比較」について研究したものは見つかりませんでした。(私が見落としている可能性が大いにありますが)
ただ、近いものでは
CiNii 論文 - 子どもの行動実現に対する親の発達期待と叱る行為の影響
という研究がありました。これは5歳程度の子供について、親が期待する行動と、その行動に関して親の叱る頻度、それらの行動が実現されるかについての関係を調査していますが、
叱 る 行為の 持 つ 行動 実現へ の 効果 は ほ ぼ 認め ら れ な い か も し くは 負の 影響 を及 ぼ すこ とが 示 さ れ た。
と結論づけています。つまりは叱ることで子供になにか(親が望む)行動をさせることはできないよ、ということです。褒めとの比較でもないですし、年齢も低いですし、スポーツという分野でもないですが、叱る指導に対する反論として参考にはなるのではないでしょうか。
ただこれだけだと主張として弱い気もするので他の観点から反論してみたいと思います。
→③ 叱る指導にはコストがかかります。
→④ 褒める指導によって選手の自尊感情を高め、より困難な課題に立ち向かう姿勢を育むことができます。
③叱る指導のコスト
行動分析学という分野の学問では、好子や嫌子といったものがある行動を増やしたり(強化)、減らしたりする(弱化)としています。
ざっくり
好子=受け手にとってPositiveな要因
嫌子=受け手にとってNegativeな要因
という理解で良いと思います。つまり何か行動して好子が得られればその行動が増え(強化)、嫌子が得られればその行動が減る(弱化)というように考えます。
例えばストーブに触って火傷(嫌子)をした子供は、ストーブに触らなくなります。
「褒められる」ことが好子だとすると(殆どの人にとってはそうでしょう)、その褒められた直前の行動が増えます。逆に「叱られること」が嫌子だとすると(殆どの人にとってはそうでしょう)、その直前の行動が減ります。
つまり褒めることで良い行動を増やすことも、叱ることで良くない行動を減らすこともどちらも可能で、コーチングの道具として使えます。
ただし、好子を使った行動の制御では毎回の行動に好子が出現しなくても行動が維持されやすいのに対し、嫌子によって行動を制御するには頻繁に嫌子を与え続けなければなりません。[1]
ようは怖い先生がいないときはサボるってやつです。
自分たちで勝手に頑張ってくれる選手を育てた方が楽じゃないですか?
コーチングのコストという点でも褒める指導が有効であるといえます。
④褒めることによる自尊感情: Self-esteem
ポジティブなフィードバックを与えられた子供はネガティブなフィードバックを与えられた子供よりも課題に対して粘り強く取り組んだ、とする研究[2]があります。
こういった姿勢が育まれれば、それは選手の成長に繋がるのではないでしょうか。
また、褒められることによって自尊感情や自己肯定感が育まれる[3]ことが知られています。そしてバーンアウトなどのスポーツ現場に見られる課題に限らず、メンタルヘルス全般の課題において自尊感情を高めることが重要であると言われています。[4,5]
つまり褒める指導によって自尊感情を高め、それはバーンアウトなどを防ぐだけではなくその子の将来にポジティブな影響を与えることができます。これは長期的な視点で書いたことに繋がってきます。
短期的な視点(直後のプレー、日)
主張:褒めたらその次のプレーでミスをするし、叱ったら次のプレーは上手くやる。だから叱るんだ。
→⑤あなたの行動と直後のプレーの出来は全く関係ありません。それは「平均への回帰」です。
一番よくある主張だと思いますし、叱る指導を信じる原因として一番多い経験だと思います。
しかしこれについては「平均への回帰」という一言で片付けることができます。(ようやくこのエントリで言いたかった言えた...)
⑤「平均への回帰: Regression to the mean」
上手くできた選手を褒めた後はたいてい前回ほど上手くいかず、上手くいかなかった選手を叱った後はたいてい前回より上手くできる。
ここまでの観察は正しいです。ただこの褒める・叱る行動と選手の次の結果には因果関係はありません。ただプレーの出来がランダムに変化しただけです。
つまり上手くいったプレーというのは選手の平均的な能力を超えるパフォーマンスをしたということで、確率論的に言えば次回の試行ではそれほど上手くいかない可能性が高くなります。
逆もまた然りで、よくなかったプレーというのはその選手の能力を下回るパフォーマンスが(ランダムに)出てしまった訳で、当然次回の試行ではそれより上手くできる可能性が高くなります。
これは「平均への回帰」という現象として知られています[6]
サクッとランダム関数で図を作ってみましたがどうでしょうか。平均(=選手の能力)から特に大きく離れたスコアが出た後はより平均に近いスコアが出ている様子がわかると思います。(もちろんランダムなのでそういったものが連続することもありえます)
コーチの仕事はこれらの青い点に一喜一憂することではなく、長いスパンでオレンジの線を緩やかにでも右肩上がりにすることです。
ただ、こういった現象の影響は大きく、コーチは常にこのような一見すると正しいが、誤った認識の経験を積み重ねることになります。上記のような主張を述べる人はこの現象と自身の褒める・叱る行動とを結びつけてしまい、結果として叱る行動が強化されてしまっているのです。
コーチの視点:
褒める→次上手くできない(=嫌子)→褒める行動が減る
叱る →次上手くできる(=好子) →叱る行動が増える
ただ、この「平均への回帰」という言葉を知っているだけでこのような勘違いは防げますし、こういった知識こそが叱るという行動に流されない力になり、より良いコーチングにつなげることができるのではないでしょうか。そういった意味でもコーチは幅広く学び続ける必要があると考えます。当たり前ですが。
あとがき
細かいところを言えば、「Positiveなフィードバックを与える」ことと「褒める」ことは一致しませんし、「褒める」ことの危険性も指摘されています。この辺りの細かい点はまた別の機会にでも書こうと思います。
参考文献
[2]KELLEY, Sue A.; BROWNELL, Celia A.; CAMPBELL, Susan B. Mastery motivation and self‐evaluative affect in toddlers: Longitudinal relations with maternal behavior. Child development, 2000, 71.4: 1061-1071.
[3]蓑輪早織; 向井隆代. 叱り言葉・ほめ言葉と親子関係認知. 子どもの心理的適応との関係日本発達心理学会第 14 回大会発表論文集, 2003, 313.
[4]内田若希; 橋本公雄. 自尊感情の多面的階層モデルと身体活動の関係. 健康心理学研究, 2007, 20.2: 42-51.
[5]永松俊哉, et al. 青年期における運動・スポーツ活動とメンタルヘルスとの関係. 体力研究, 2009, 107: 11-14.
[6]ファスト&スロー, ダニエル・カーネマン, 早川書房, 2012